2024/11/01

序文

 水泳が趣味なので、水泳にまつわるあれこれを誰かと語り合えたら愉しいだろうと思うが、通っているプールで知り合いは作りたくないし、web上のコミュニティなんかは、探せばあるんだろうと思うが、たぶん全然おもしろくないに違いない。
 もっともこれは水泳に限らない。人づきあいが全般的に苦手なので、家族や親類以外と友好な関係を築くビジョンがまるでない。はっきり言って、他人のことが基本的に嫌いなのだ。他人の話に波長を合わせるのが苦手。すぐに拒否感が出てしまう。そんな人間が、誰かと愉しくなにかを語り合うことができるはずがない。
 でも、だからこそ水泳なんじゃないか、とも思う。水泳は基本的に孤独なスポーツだ。個人競技は他にもいろいろあるけれど、水泳ほど、周囲の人間とコミュニケーションを取る必要がない、そして取るのが困難なスポーツはあまりないと思う。なにしろ水中である。しゃべれないのだ。さらには、表情を読み取るのさえ難しい。そういう意味では、人づきあいが苦手な人間にうってつけの趣味だと言える。
 しかしその一方で、冒頭のような叶わぬ願望を抱いてしまう。でも趣味ってそういうものだろう。同好の士と、あるある話などで共感し合いたいではないか。
 そんなジレンマをずっと抱えていたわけだが、先日リン・シェール著「なぜ人間は泳ぐのか?」(太田出版)という、水泳にまつわるエッセー本を読んだことで、そうか、仲間がいなくたって、水泳のエッセーがあればそれでいいんだ、ということを喝破したのだった。
 しかしながら水泳のエッセー本なんて、この世にほとんどない。水泳をする人間は、どうも文章というものを書かないらしい。水中で息を止めすぎて、酸素が脳に届いていないのかもしれない。ならばいっそ自分で書いてしまおうと思った。そんな経緯でできたのがこのブログである。100年間で7人くらいの孤独なスイマーが、このブログを読んで、少しでも喜んでくれたらいいなと思う。ちなみに「pooling」には、「共有する」という意味があるそうだ。われわれはひとりぼっちだ。ひとりぼっちだという思いを分かち合おう。