2025/02/08

ジュリー・オオツカ著「スイマーズ」を読んで

 「スイマーズ」という小説を読んだ。
 タイトルや表紙から、プールと水泳にまつわる話だろうと当て込んで読み、まあ序盤はだいたいその通りで、書き方にだいぶ癖はあったものの、それなりに愉しく読んだ。
 本のカバー見返しにあるあらすじはこうである。

 必死で泳いでいると、束の間日常生活の悩みを忘れることができる。そのために、ほとんど依存といってよいほどに公営プールに通い詰める人々がいる。ある日、プールの底に原因不明のひびが入ったことから、スイマーたちは戸惑い、しだいにその生活と精神に不調があらわれはじめる。そのうちのひとり、力強く泳いでいたアリスの認知症は自分の名前を思い出せないほどに進行する……。ひとりの人間の過ごした時間の断片を、現代を生きる我々の喜びと苦しみに共有させる傑作中編小説。

 序盤は本当に、プールを舞台にした、群像劇的な、「あるある」なんかも織り交ぜられた、ちょっとだけ特殊なエンターテインメント小説、という感触だったのだ。なにしろ僕自身、会員となって日々プールに通っているため、その内容には格別の臨場感があった。
 通っていると、特にオフシーズンなんかは会員の濃度が高まるし、行くのはどうしたって同じような時間帯になるので、見知った顔が多くなってくる。ただしこの小説の中のプール会員たちと違って、僕は他の会員と交流することは一切ないけれど。
 物語では、プールの底に謎のひびが入ったことで、プールは無期限の休館となる。これもまた、2月から春休みまでをも含む3ヶ月間のメンテナンス休館を告げられた自らの状況と共通する。登場人物たちと一緒で、僕もなかなか現実を受け入れられなかった。3ヶ月もプール通いを奪われて、果たして僕は大丈夫なんだろうか、という不安に襲われた。
 それはたぶん、行くたびに顔を見かける常連の輩もそうだっただろうと思う。僕と同じで、他の会員とまったく交流しない会員だってもちろんいるだろうが、そうではない、更衣室で挨拶を交わし、大きな声で世間話をする彼らは、当然3ヶ月間の休みについての懊悩を、互いに語り合ったろうと思う。前回の記事に書いたように、休館前の最後の来館時に会員期限のことをやってもらおうとして、3ヶ月というのがあくまで予定だということを告げられるといった、情弱さを痛感するような出来事があったこともあり、大規模休館というのはプールにおいて有事ということになるが、平時のときはのうのうと、与えられた権利を掠めとるように生きればいいけれど、有事になると積極的な集団との繋がり、そしてそこから得られる情報がものを言うのだという、まるで戦渦に在るかのような気分になったのだった。僕も同じ境遇の人と、不安を打ち明け合い、情報を得たかった。
 プール休館問題に限らず、僕には話し相手というものが、基本的に妻であるファルマンしかいないのだが、ファルマンにプールの休館についての嘆きを聞かせるほど無駄なことはない。ファルマンは2年ほど前、個人会員ではなく家族会員のほうがトータルでは安上がりになるのではないかと考え申し込んだ、1年間の家族会員期間に、とうとういちども近所のプールに入ることなく会員期間を終えたというくらい、プールに興味がないのだ。
 さまざまな葛藤、あるいは達観をして、物語のプールはいよいよ閉鎖の時を迎える。それは本全体の半分にもならない、5分の2くらいの所で、ここから話は、著者の母親がモデルなのだろうアリスという女性の認知症の進行、それにまつわる周囲のあれこれが、すべてになる。これ以降、プールの話はまったく出てこない。ひびが直り、プールが再開するなどという描写はない。アリスはベラヴィスタという介護施設に入り、もちろんそこから出ることなく、人生を終える。
 生きがいであったプール通いが奪われてアリスの認知症は加速してしまったのだというふうに考えたら、超高齢化社会である日本の中でも有数の高・高齢者比率である島根県にあるプールの大型休館というのも、他人事ではないというか、あの老人たちがこの小説を読んだらどう思うだろう、という話である。ともすれば3ヶ月後、プールに帰還しない老人だっているかもしれない。
 あるいは先ほどプールの大型休館を、有事であり、戦渦に巻き込まれるような状態に近いと書いたが、物語の中のプールは、すなわちアリスの脳のメタファーなのであり、そこに認知症という原因不明のひびが生じたことにより、それまでの日々が失われる(ひびと日々を掛けているので上手い)という、この物語とはつまりそういう仕組みになっていると考えれば、老朽化によって、内部の管などにさまざまな問題が生じ、ここ数年やけにメンテナンス休館の期間が拡張しがちな、そして高齢者の比率が極めて高い島根県のプールという現実を考えるにつけ、とても身につまされるというか、このどんどんGDPが下がって、出生率が下がり、老人ばかりが増えて人口が減少する日本のこの時勢において、現存するプールが保てなくなったら、新しくプールが造られるビジョンは到底見えず、たぶん今の高齢者が生きている間は、プールも、年金も、ぎりぎり持つけれど、それがなくなって、いまの中年、つまり僕だけど、それが高齢者になったとき、この世にプールはなく、国庫にプールされている蓄えもなく(また上手い)、いったいなにをよすがに生きていくのだろう、などと思う。
 話のモチーフが、あまりにも身近であったために、こんなにも感じ入って、後半部である全体の5分の3は、アリスがどれほど切なく、救いようがなく、人間として壊れて死んでいくかが、娘である著者の贖罪の意図もあるのか、だいぶしつこく淡々と、それゆえにとても残酷に描かれ続けるので、なんだかすごく、暗い気持ちになってしまった。この気持ちを晴らすには、たぶん泳ぐしかない。泳ぐしかないというのに。