珍しい平日の休みがあった。条件反射のごとく、おろち湯ったり館も脳裏をよぎったが、そこまで繰り出す意欲も湧かず(やはり一時期よりも心の距離ができてしまっている)、いつものホームプールで済ますことにした。
済ます、などと素っ気ないふりを無意味にしたが、実はだいぶがっついていて、開館とほぼ同時に入館した。最近は日が長いので、労働が早めに終わった日などは、まだ西日が眩しいような時間帯に来れることもあるのだけれど、そうは言っても午前中の陽射しとはやはり別物なので、この日ちょうど天気が良かったこともあり、これから昇っていくうのフレッシュな光に、きらきら照らされる水の中を泳げるぞ、というワクワク感があった。
ただし労働がひょんなことから休みになった平日午前の公営プールというものは、僕もそれなりに年数を経たスイマーと言っていいので、経験上知っていることなのだけど、そこは年寄りたちの巣窟なのである。理屈として、それはそうだ。年寄りじゃない、フルタイムで勤めているタイプの勤め人は、ひょんなことでもない限り、基本的にこの時間にプールには来れないのだから、どうしたってそうなる。もといプールに限らず、この世のほとんどのスポットにおいて、平日の昼間というのはそういうものだろう。ましてやここをどこだと思っているんだ。島根県だぞ。舐めるな。老人密度に関しては、世界でも有数の都市なんだからな。いっそ誇っちゃうんだからな。誇りながら、瞳には光るものが浮かんでいるんだからな。
いざプール内に足を踏み入れてみたら、果たしてそこは年寄りの世界だった。若い午前中の光に包まれたプールには、年寄りが巣食う。一方で日が暮れたあとのナイトプールには、生命力のギラギラした若者たちが集う(らしい)。なんとなく、因果な話だと思う。もしかするとこれは陰陽思想の説話なのやもしれない。
もっともこの日のプールは、それでは来館者の平均年齢が、僕の奮闘も虚しく(実はそこまで下げられるわけではないし)、ざっと65オーバーか、と言えば実はそんなこともなくて、なぜなら時節柄だろう、幼児用プールエリアに、近所の保育園児らしき集団がやってきていたからである。幼児用プールなので、スペース関係で差し障りなどはなかったが、館内には当然のごとく、園児たちの嬌声がこだました。いや、別にそこまでうるさくなかったし、プール愉しくてはしゃぐの当然だし、全然いいんだけど、個人的に、年寄りまみれの中を泳ぎながら、耳で幼児のキャンキャン声を聴いているという状態に、なんだか処理が追いつかず、くらくらしたのだった。フット後藤が言うところの、「高低差ありすぎて耳キーンなるわ!」状態。
せっかくの平日休みのプール、ちょっとファルマンがびっくりするくらい長時間ダラダラやってやろうかとも思っていたのだが、いつもの、労働終わりで行く夜のプールに毛が生えた程度の滞在時間で、すごすごと退散することとなった。判ってはいた。園児までは予想外だったが、むしろ僕という存在は、お年寄りたちの調和世界に波紋をもたらすことになるだろうということは判っていたのだ。でもやっぱり、せっかくの平日休みということで、やらずにおれなかったのだ。あとくれぐれも、これはあくまで自分が場違いで居心地が悪かったという話であり、年寄りや幼児を疎ましく思う、不寛容な、社会倫理に欠けた意識の話ではない、ということをここに断っておく。子ども叱るな来た道だもの。年寄り笑うな行く道だもの。もちろん解っております。はい。