「すげえでかかったな!」
「うん、でかかった!」
と興奮した口調で語り合う、という出来事があった。
他に周囲に人はいなかった。だからそれはタイミング的に、シチュエーション的に、僕の男性器について言っているのは明白だった。
そうか、少年たちに憧れを抱かれるって、こういう気持ちなのか、こんなにも満たされた気持ちになるのかと、大谷翔平の気持ちが少し解ったような気がした、2022年で最も嬉しい出来事だった。
今回、さすがにそこまでではないのだけど、類似する嬉しい出来事がったので記しておく。
舞台は同じプール、同じ更衣室である。泳ぎ終え、更衣室に戻り、シャワーを浴びて、水着を乾かし、髪を乾かし、服を着て、さて帰ろうと更衣室出入口の靴置き場で、靴に足を収めようとしていた、その瞬間だ。ほぼ同じタイミングで更衣室を出ようとしていた、70代後半くらいのじいさんが、おもむろに声を掛けてきたのである。
「にいちゃん」
ぎくっとした。咄嗟に、なにか注意されるのだ、と思った。常連のじいさんというのは往々にして、テリトリー意識が強いのか、自分にとっての快適空間を保つため、場の調和を乱す存在に対して偏狭だ。それはそれで必要な場面もあるのだけれど、暴走すると、施設の正式なルールでもなんでもない事柄まで周囲に強いたりするので厄介だ。これまでの人生でその手の被害に遭って精神を削られたことは何度かあり、またそれかと身構えた。
ところがである。そのあと言葉はこう続いた。
「腹、割れとったな」
え、嬉し、と思った。5年ほど前からプール習慣をはじめて、当初は鏡に映る自分の身体ののっぺりさ加減を疎ましく思ったものだったが、毎回見せつけられるその姿に奮起し、日々筋トレに勤しんだ結果、一朝一夕では実現しないような、なかなか引き締まった身体になっている。そういう自覚はあった。しかし自覚はあったけれど、確証はなかった。誰かが客観的に認めてくれたわけではなかったからだ。
それがとうとう証明されたのだ。見知らぬじいさんによって。
「あ、ありがとうございます」
と返事をした。
するとじいさんは続けて、
「なに、やってんの?」
と訊ねてきた。「なにかやってんの?」ではない。この人、なにか特別なことをやっているのかな、そうじゃないのかな、という揺らぎはそこにない。なんかしらのことを心掛けてやっている人間でなければどう考えたって到達できない次元だろその身体は、という思考が透けて見える言い回しだ。そういう細かい言い回しにこそ深層心理が出る。
それに対して僕はどう答えたかと言えば、
「いや、そんな、別に、ただ痩せてるだけっすよ」
と謙遜してみせた。急に知らない人に話しかけれられたことで、動揺していたのである。ブログでは朗々と語っておきながら、現実の対人スキルはこんなものだ。しかしここは得意げに、「日々筋トレに勤しみつつ、なるべく脂質が低く、かつたんぱく質のたくさん含まれた食事をするよう心掛けておりまして」などと説明するような場面ではないので、これで正解なのだと思う。前回は大谷翔平だったが、今回は、女優が肌の若さの秘訣を訊ねられ、「特別なことはなにもやっていません」と答える気持ちが分かった。
立ち止まることはせず、僕がそこで靴を履き終えて歩き出したことで、やりとりは終わった。
駐車場に向かって歩きながら、改めてじんわりと喜びがこみ上げてきた。2年前の小学生も、今回のじいさんも、たぶん何の気なしに思ったことを言っただけなんだろうが、他者からの賛辞というものは、こんなにも言われた相手をしあわせにするのか、と思った。僕もなるべく言っていきたい、世の中のしあわせの総数を高める存在になりたいと思うが、なかなか難しいとも思う。40歳くらいの男が、更衣室で急に「ちんこでかいっすね」などと話しかけてきたら、それはもう別の意味になってしまうと思う。