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2025/10/22

プールと社会性


 以前にいちど書いたと思うが、ホームプールで、かつて在籍していた会社の同僚男性の姿を何度か見かけ、そのたびにコソコソと身を隠していたのだけど、つい先日、とうとう避けられない間合いで目が合ってしまい、挨拶をするはめになってしまった。
 その同僚男性は僕よりも5つ以上年下で、ガタイのいい、わりと快活な性格の、島根県育ちの青年で、僕はたぶん彼の後釜として採用されたようで、3ヶ月ほど一緒に働き、やがて彼は予定通りにいなくなり、そして僕もその半年後くらいに辞めた(そういう職場だった)。一応LINEは交換していて、僕が退職した際にはそのことを報告したが、それ以外のやりとりはほとんどしていない。そんな関係性である。
 相対したのは、流れるプールの階段になっている出入口で、僕は入るところ、彼は出るところだった。運悪く、それがちょうど交差してしまったのだった。流れるプールは流れに逆らって歩くトレーニングを試みない限り、基本的に一方通行なのだから、このようなタイミングにさえならなければ、同じ時間にプールに入っていてもいつまでも顔を合わさないことだって可能だったろうに、本当に間が悪かった。
 それでも僕はなおも、気付かないふりをし続けようと思ったのだ。これまでも、さすがにお互いに気付いているんじゃないかと思うような接近があっても、スルーできていた。それはもしかしたら、相手も同じ気持ちだったから成立していたのかもしれない。この日までに、僕が何度かその姿を見かけたということは、向こうもまた、僕の姿を見かけていた可能性はある。でも大人の嗜みとして、どちらも声を掛けずに済ませていた。僕はその嗜みに関しては達人級なので、今回もいけるだろうと思った。しかし彼はさすがに無理だったらしい。
「プロペさん」
 とうとう声が掛けられてしまった。
 それに対して僕はどういう反応をしたか。こうである。
「わー、久しぶり! びっくりした!」
 と言いながら、しかし一瞬も足を止めず、そのまま彼がいま出てきた流れるプールへと入水したのだった。そしてそのまま、いつも通りのウォーキングを始めた。
 顛末は以上である。
 帰宅してからファルマンにこの出来事を話したら、
「そういうときは普通、少し立ち止まって、ちょっと近況報告とかするんだよ」
 と、お前が! お前が人に、人の道を説くのかよ! 俺は! 俺はお前に人の道を説かれるのかよ! と叫び出したくなるような辱めを受けた。ファルマンから人付き合いについて窘められるなんて、猟奇殺人者に「命を大事にしろ」と諭されるようなものではないかと思う。こんな「おまいう」、なかなかない。
 もちろんファルマンに言われるまでもなく、自分のムーブが大の大人として正しいものだったとは言わない。でもさ、本当に俺、プールでは絶対に知っている人に会わないという想定で動いているからさ、そういう想定での水着を着ているからさ、マジでこういうの困るんだよね。元同僚という関係性は、つまり社会性による付き合いということになるが、それで言うと、僕の作る水着というのは社会性の対極なのだな、ということを痛感した。
 社会性の対極、すなわちロックなのかもしれない。股間のだいぶ突き出た、ビキニに肉薄したローライズのボックス水着は、僕なりのロケンロールなのだ。社会的な関係の相手にはとても見せられない度合の、あられもない部分がさらけ出されて、これがほんとの露見ロール。おあとがよろしいようで。
 あー、彼、もう二度とプールに来ないでほしい。俺のホームプールだから。お前のじゃねえから。出ていってほしい。

2025/05/17

プーリングライフの再開


 休館で泳げていない嘆きをさんざんしたくせに、いざ5月に入り、実際にプールライフが再開したら、半月以上なんの報告もしないという身勝手さ。でもこれは典型的な、便りがないのがいい便りというやつで、回数を数えたところ、昨日までで8回泳ぎに行っていた。泳いでばかりいたので、泳ぐことに関する文章なんてぜんぜん書く気にならなかったのだ。
 泳ぐのはやっぱりいい。人って日常生活の中で、立つ(歩く・走る)、座る、寝るくらいしか行動の選択肢がないわけで、そこに泳ぐが加わると、体がその新鮮さに喜ぶのを感じる。大袈裟に言えば、三次元だったものが四次元になっているような感じ。嬉しい。
 休館中にしこしこと作っていた新パターンの水着たちも、ようやく水着としての本懐を遂げることができた。これもとてもめでたく思っている。穿き心地、泳ぎ心地は、旧パターンのものとそう変わるわけではないが、なんと言ってもこちらの意識が違う。
 ちなみにこれは余談だが、水着を作ったあとの余り布で実は水泳帽も作っているのだけど、型紙の置き方の都合上、「水着4枚分の生地を裁ったあと、さらに水泳帽の生地が取れるのは、柄に上下の区別がないものに限られる」という条件があって、そのため保有している新パターン水着には、共布の水泳帽があるものとないものがあり、これまで水泳帽を自作していなかった頃は、日々多彩な柄の水着を穿きながら、水泳帽は黒か紺のどちらか、というスタイルで、別になんの不満もなかったのに、一部セットアップが成立してしまった時点から、そうではない日、水着と水泳帽がお揃いでないということに、微妙に忸怩たる思いを抱くようになってしまい、もちろんぜんぜん深刻な話ではないのだが、人の向上心とか欲望というのは果てがないものなのだな、という淡いやるせなさみたいなものを実感している。かなり特殊な実感だと我ながら思う。
 あともうひとつ懸念していることがあって、休館前には一切そんな気配はなかったのに、再開後から、知り合いと思われるひとりの人物の姿を2回見かけてしまい、動揺している。前の職場の、わりと年齢が近い男である。もちろん遠くに姿を見かけた瞬間に、さっと身を潜めたので、接触はしていない。地元ではない、知り合いがいない気楽さから、面積の小さい、自作の、まあまあ奇抜なデザインの日替わり水着で、大胸筋のトレーニングを意識したオリジナルのウォーキングをするという、のびのびした振る舞いをしているわけで、ここに知り合いの存在が生じると、一気に居心地が悪くなってくる。2回見かけたということは、まさか会員になったのだろうか。嫌だな。辞めてほしいな。プールなんて辞めろよ。飽きろよ。面倒なばっかりで、そんないいもんじゃねえよ。
 まあだいたいそんな感じで、プールライフが再開している。時間や社会に囚われず、幸福にプールで過すとき、つかの間、僕は自分勝手になり、自由になるのだと思う。

2024/11/20

2万年前の南フランスの湖で泳ぐときの恰好について

 Netflixでアニメ「T.Pぼん」を観ていたら、クロマニヨン人の少年を助けるべく2万年前の南フランスへと向かったぼんが、調査中にきれいな湖を見つけ、思わず喜んで水浴びをする、というシーンがあった。パートナーであるユミ子も一緒に来ており、ぼんは服を脱ぎながら「ひと泳ぎしようよ」と誘うのだが、「あたしはけっこうよ」と断られていた。それを受けてぼんは、特に拘泥する様子もなく、ひとりパンツ一丁になって湖に飛び込んでいた。
 2万年前の南フランスで、クロマニヨン人はいると言っても個体数は少なく、ほぼふたりきりの空間と言ってよい。ここまで暑いなか、見つからないコエロドンタを探してさまよっていたこともあり、鬱憤も溜まっていただろう。僕だったら、もう少し執拗にユミ子の参加を促す。他に誰もいないのだから。汗ばんでいるのだから。いいじゃないか、と。なにしろここは原始時代。社会規範? 公序良俗? そんな息苦しいものが出来てしまう前の世界なのだ。今だけは自分を解放して、欲望の赴くままに一緒にはめを外そうよ、と。
 実際、ユミ子はこのあと、ぼんがひとしきり泳ぎ終えて昼寝を始めると、こっそり泳ぐのである。意欲はあったのだ。それだけに惜しい、と思う。ぼん、そういうところだぞ、と。
 しかも泳ぐにあたり、ぼんがパンツを残していたのに対し、ユミ子は全裸になっている。これは、ぼんはユミ子に見られながら泳いでいたが、ユミ子は周囲に誰もいないのを確認した上で泳ぐことにしたからだ(実際には救助対象のクロマニヨン人の少年に目撃されるのだが)、というのもあるが、なんと言うか、いろいろ考えさせられる状況だ。
 ユミ子は下着を濡らしたくなかったのだ、というのはひとつの理由になると思う。たぶんF先生にこのあたりのことを問いかければ、そういう答えが返ってくるだろう。現代人としての矜持から、ビキニよろしく、ブラとショーツという姿で泳ぐのは簡単だ。でも泳いだあとどうなるのだ、という話だ。泳いだあとで、濡れた下着のままでいるわけにはいかず、全裸にならざるを得なくなり、またはるか未来を本拠とする組織とは思えないほど、ジェンダーを前面に出しているタイムパトロールの制服において、女性のそれはミニスカート仕様となっているので、今後の活動のことを思えば、やはりここはユミ子としては下着を濡らさない(そのために全裸になる)という選択が得策であることは間違いない。だから私はユミ子を全裸にしたわけで、そこにやましい気持ちなどは一切ないんだよ、とF先生はおっしゃる。F先生がそうおっしゃるのなら、われわれとしては押し黙るほかない。
 翻って、ぼんである。F先生、ぼんにはパンツを穿いたまま泳がせた。ユミ子の目があったこともあるが、中学生男子としては、やはりそれを脱がすわけにはいかなかった。「ドラえもん」の中で、同じような状況でジャイアンやスネ夫が全裸で泳ぎ、しずかちゃんが「やだっ」と言って顔を覆う、という場面があったように思う。ジャイアンは発育がよく、中学生に見紛うほどだが、そうは言っても小学生である。よってセーフだ。しかしぼんは中学生。男子中学生の全裸はアウトである。男子なら下着が濡れたって、そのあとノーパンでズボンを穿けばいいだけの話なのでさしたる問題ない。
 しかしぼんがこのとき穿いていたのは、まず間違いなく白ブリーフなのだった。F先生ご存命の時代(「T.Pぼん」の連載は1980年前後)、男子の下着というのは白ブリーフのほぼ一択だったろうと思われる。だとすれば、水に濡れた白ブリーフは、ぜんぜん透けただろ、ということも思う。ほぼほぼシースルーくらいの感じで、中身を浮かび上がらせたに違いないのだ。そしてぼんはそんな状態で、ユミ子の横までやってきて、大の字になって眠りにつくのである。それはもう一種の見せつけと言ってもいいのではないか、と思う。これを本当に無邪気にやっているのだとしたら、ぼんが心配になってくる。ぼんはまだ性に目覚めていないのかもしれない。あるいは、目覚めているのに無自覚なのかもしれない。危険だ。ぼんが本当に探すべきはコエロドンタではなく、小エロどん太なのではないかと思えてくる。
 小エロどん太ってなんだよ。