2万年前の南フランスで、クロマニヨン人はいると言っても個体数は少なく、ほぼふたりきりの空間と言ってよい。ここまで暑いなか、見つからないコエロドンタを探してさまよっていたこともあり、鬱憤も溜まっていただろう。僕だったら、もう少し執拗にユミ子の参加を促す。他に誰もいないのだから。汗ばんでいるのだから。いいじゃないか、と。なにしろここは原始時代。社会規範? 公序良俗? そんな息苦しいものが出来てしまう前の世界なのだ。今だけは自分を解放して、欲望の赴くままに一緒にはめを外そうよ、と。
実際、ユミ子はこのあと、ぼんがひとしきり泳ぎ終えて昼寝を始めると、こっそり泳ぐのである。意欲はあったのだ。それだけに惜しい、と思う。ぼん、そういうところだぞ、と。
しかも泳ぐにあたり、ぼんがパンツを残していたのに対し、ユミ子は全裸になっている。これは、ぼんはユミ子に見られながら泳いでいたが、ユミ子は周囲に誰もいないのを確認した上で泳ぐことにしたからだ(実際には救助対象のクロマニヨン人の少年に目撃されるのだが)、というのもあるが、なんと言うか、いろいろ考えさせられる状況だ。
ユミ子は下着を濡らしたくなかったのだ、というのはひとつの理由になると思う。たぶんF先生にこのあたりのことを問いかければ、そういう答えが返ってくるだろう。現代人としての矜持から、ビキニよろしく、ブラとショーツという姿で泳ぐのは簡単だ。でも泳いだあとどうなるのだ、という話だ。泳いだあとで、濡れた下着のままでいるわけにはいかず、全裸にならざるを得なくなり、またはるか未来を本拠とする組織とは思えないほど、ジェンダーを前面に出しているタイムパトロールの制服において、女性のそれはミニスカート仕様となっているので、今後の活動のことを思えば、やはりここはユミ子としては下着を濡らさない(そのために全裸になる)という選択が得策であることは間違いない。だから私はユミ子を全裸にしたわけで、そこにやましい気持ちなどは一切ないんだよ、とF先生はおっしゃる。F先生がそうおっしゃるのなら、われわれとしては押し黙るほかない。
翻って、ぼんである。F先生、ぼんにはパンツを穿いたまま泳がせた。ユミ子の目があったこともあるが、中学生男子としては、やはりそれを脱がすわけにはいかなかった。「ドラえもん」の中で、同じような状況でジャイアンやスネ夫が全裸で泳ぎ、しずかちゃんが「やだっ」と言って顔を覆う、という場面があったように思う。ジャイアンは発育がよく、中学生に見紛うほどだが、そうは言っても小学生である。よってセーフだ。しかしぼんは中学生。男子中学生の全裸はアウトである。男子なら下着が濡れたって、そのあとノーパンでズボンを穿けばいいだけの話なのでさしたる問題ない。
しかしぼんがこのとき穿いていたのは、まず間違いなく白ブリーフなのだった。F先生ご存命の時代(「T.Pぼん」の連載は1980年前後)、男子の下着というのは白ブリーフのほぼ一択だったろうと思われる。だとすれば、水に濡れた白ブリーフは、ぜんぜん透けただろ、ということも思う。ほぼほぼシースルーくらいの感じで、中身を浮かび上がらせたに違いないのだ。そしてぼんはそんな状態で、ユミ子の横までやってきて、大の字になって眠りにつくのである。それはもう一種の見せつけと言ってもいいのではないか、と思う。これを本当に無邪気にやっているのだとしたら、ぼんが心配になってくる。ぼんはまだ性に目覚めていないのかもしれない。あるいは、目覚めているのに無自覚なのかもしれない。危険だ。ぼんが本当に探すべきはコエロドンタではなく、小エロどん太なのではないかと思えてくる。
小エロどん太ってなんだよ。