2025/02/03

泳ぐという選択肢

 ホームプールが休館期間に入ってしまった。
 告知された予定期間は4月いっぱいまで。長い。
 その告知では、「会員の方は期限の延長処理をいたします」という文言も併記されていて、それはもちろん当然の話なのだが、1月中、入館時に何度も受付で会員カードを提示しているのに、いつまでも職員のほうから「延長処理しますね」という呼びかけがなく、ずいぶんやきもきさせられた。それで数日前、これが休館前の最後の来館になるかもしれないというタイミングで、とうとうこちらから、「延長処理をしてほしいんですが」と申し出たところ、「実はお知らせしている休館期間は目安であり、短くなるかもしれないし、逆に長引くかもしれないので、処理はそれに合わせて再開後になるのです」という返事で、それならそういう旨を書いておきなさいよ、言葉足らずだよ、と思ったが、もちろんそういう文句を面と向かって訴えるタイプではないので、「はあそうですか」と引き下がり、そしてこうしてブログに記した。たちがいいのか悪いのか我ながらよく分からない。
 とにかくそんなわけで、4月いっぱいとは言うものの、実は正確には定まっていないのだそうで、プラス思考、マイナス思考、捉え方は人それぞれだと思うが、僕はマイナスで捉えている。すなわち長引くような気がしている。去年も休館期間は平常時(2月のみ)よりも長かったのだ。それって年にいちどの1ヶ月程度の休館では出せない膿を出したということで、今後少なくとも5、6年はこういうことは起らないはずですよ、となるのが自然な流れだと思う。それが去年よりもさらに長く設定されているのだ。大丈夫かよ、と思う。ホームプール、移住者なので何年前からあるのか知らないが、もしかしてやばいのか。
 そんなふうに感じる伏線も実はあって、1月の後半、ボイラーの調子が悪いとかで、たびたびプールの水温が低かった。なにぶん大寒の時候である。いまが1年でいちばん寒いのだ。そんなときにボイラーが故障したのだ。もちろんそれも受付で告知がなされていたのだけど、実際に味わってみなければ分からないわけで、(そうは言っても水中で身体を動かしていれば熱を帯びるわけだしね)、などと考えて入水したところ、なるほどこれは無理なやつだ、となって早々に退散した日が何度かあった。ボイラーの故障がどれほど根深いものなのかは、利用者側からは察しようがないけれど、プール側はどうやら、なにしろ今月末限りで大規模なメンテナンス期間に入るのだからして、という判断をしたようで、月内にわざわざ修理をする気はないようであった。そんな感じで、もはや青息吐息の様相を呈しながら、ホームプールは休館期間へと突入したのだった。
 思い返せば、以前にも休館が半月ほど延びた年があり、そのとき僕は、それだけ大掛かりなことをするということは、なにか利用者にとって嬉しいリニューアルのようなことが行なわれるのだろうかと無邪気にも期待し、わざわざ電話を掛けて担当者に訊ねたりした。ちなみにその返答は、「内側の配管などの整備です」という、しゅんとなるものであった。今回、もはやそんなことは望まない。今ある形のままでいいから、施設が永く続いてくれればそれでいい。生きてくれているだけでいいんだ。もはやその境地だ。
 かくして泳げない日々が始まっている。開館時、毎日せっせと泳ぎに行っていたわけではない。けれど僕には毎日、泳ぎに行くか行かないかの選択肢が与えられていた。大事MANブラザーズバンドが「それが大事」で言っていたように、僕は泳げないのが哀しいんじゃなく、泳ぐという選択肢が生活から抜け落ちているのが哀しいのだと思う。なるべく早い開館を信じ抜きたいと思う。それがいちばん大事。