3ヶ月である。本当に長かった。この3ヶ月の間、いちどだけおろち湯ったり館で泳いだ以外は、本当に泳ぐことなく暮した。ただでさえ気持ちが落ち込みがちな、山陰の冬である。特に今年は寒さがしつこく、3月は必死で春の気配を感じ取ろうとするのに、そのたびに無碍に裏切られ、精神をズタズタにされる、ということを繰り返した。その3月が終わり、ようやくきちんと暖かくなっても、まだプールは開かなかった。世界から心の強さを試されているのだろうか、と思った。
思えば自傷行為のようだったが、休館中に読んだ「スイマーズ」という本に引っ張られた部分も大きい。日々通うことで得ていたプールの効用を失ったからには、その分のダメージが襲い掛かってくるのが道理であるという、そんな観念もあったように思う。
しかしこれはあながち大袈裟でもなく、この超高齢化社会である島根のプールにおいて、きわめて高い比率の老人スイマーたち、あれらは果たしてこの3ヶ月間を、誰ひとり欠けることなく耐え抜いただろうか。3ヶ月でどっと老化が進行した、みたいなパターンも十分に考えられる。マグロは止まったら息が出来なくて死ぬらしいけれど、スイマーもまたそれに近い性質を持っているような気がする。
この3ヶ月間が始まる前、3ヶ月泳げないんなら、その代わりにランニングをするほかあるまいなあ、と考えていた。しかし結果的には、3ヶ月で本当にいちどもしなかった。ただでさえ寒くて暗くて生きるのがつらいのに、その上ランニングなんかするはずないだろ、というどこまでも真っ当な理由によってだ。ランニングは、運動としては水泳の代替になるのかもしれないが(使う筋肉はぜんぜん違うけど)、僕は別に運動のためにプールに行っているんじゃないのだな、と再認識した。
ところで、まるで泳げなかった3ヶ月間に、僕はいったい何枚の水着を作っただろう。40~50枚くらいはざっと作っていると思う。新パターンを生み出し、量産したが、実はいちども実地での試用をしていないのだった。これで泳いだ瞬間に構造上の欠陥が発見されたら悲劇である。まさかそんなことはないだろうが。
休館は、期間に入る前、「早まるかもしれないし遅くなるかもしれない」などと濁されたが、最近になって更新されたホームページでの告知を見る限り、当初の予告通り5月から営業は再開されるようだ。それはいいのだが、3ヶ月も間が空いたのだから、ラマダンのように、明ける際は盛大にお祝いしたっていいんじゃないか、と思う。あるいは会員を特別扱いして、会員限定のプレオープンなどしてくれたって罰は当たらないと思う。しかしそんな様子は一切ない。やはりホームプールは会員にちょっと冷たい。でもそこが心地いい。
とにもかくにもあと数日だ。本当の意味でようやく冬が終わる。