2025/01/11

水中界王星

 1月2日に3kmほどのランニングをしたところ、次の日に筋肉痛に襲われ、ちょっと驚いた。
 たしかにきちんと走るのは久しぶりだった。温暖な季節は一切やらなかったので、10ヶ月以上ぶりということになる。そう考えれば筋肉痛は自然なことのようにも思う。
 けれど僕は2024年の途中から、日々のプールで、だいぶウォーキングやランをするようになったのだ。泳ぐことももちろんするけれど、ひたすら泳ぐだけだと15分くらいで体力が尽きてしまうこともあり、入場したらまずしばらく歩くことにしたのだ。20分以上歩くと有酸素運動になって脂肪が燃焼されるという話を念頭に、だいたいそのくらい水の中を歩いたり走ったりしたあと、仕上げとして泳ぐというのが、最近のルーティンとなっていた(その賜物として、「腹、割れとったな」へとたどり着いたのだ)。
 であるからして、下半身方面の筋力もまた、それなりに鍛えられているものと捉えていたのだ。なにしろ僕の孤独のスイムウォークおよびスイムランは、自分勝手で、自由で、誰にも邪魔されず、気を遣わない孤高の行為であり、まず上半身は大胸筋を意識し、思いきり胸を張りながら腕を水中で動かし続けているし、下半身は一歩一歩踏ん張りつつ腿を上げることを心掛け、さらにその際に前傾になって腹と膝を近付けることによって貪欲に腹筋まで刺激しようとするという、たぶん傍目から見たらだいぶ異様な姿なのである。それをこれもまた異様な、来るたびに柄が違う、面積小さめのオリジナル型紙のスイムウェア姿で行なっているのである。そのように恥も外聞もかなぐり捨てて励んでいるのだから、相当なトレーニング効果が現れていることだろう、と。
 それだのに地上でのランニング、わずか3kmで途端に筋肉痛になった、という次第である。なんだか狐につままれたような気持ちになった。空気とは比べ物にならない抵抗の水中を進むのだから、それはまるでドラゴンボールの重力が大きい環境での修行のような、格別の成果が得られるに違いないと思っていた。
 でも考えてみたら、短距離にしろ長距離にしろ、地上のランナーたちがトレーニングで水中でのそれを行なっている、などという話は聞いたことがない。地上のランナーは、トレーニングでひたすら地上を走る。なぜか。
 それは水中で走ってもぜんぜん筋肉は鍛えられないからに他ならないのだ。抵抗が大きいのだからドラゴンボールでいう重力の大きい状態での修行みたいになるのではないかと書いたが、考えてみたら逆である。水中だから、むしろ重力が低いのだ。
 でも、じゃあ身体の重み自体は少なくなるにせよ、空気よりはるかに重い、水中での前に進む動きに対する抵抗は、あれはトレーニング効果的にどうなの、あるんでしょ、あるよ、実体験として感じるもの、あれが「特に大したものではないです」などと言われたらやってらんないよ、という話で、それはもちろん、あるのだと思う。そしてそれは、地上を走るときに使う筋肉とは、まったく異なる方面に作用しているのだろう。
 実際、筋肉痛に襲われた1月3日が、今年のホームプールの初開館日だったので、早速行って初泳ぎをしたわけだが、水中にいる間、前日に走って筋肉痛となっていることは、まったく頭の中から抜け落ちていた。なんの問題もなく、いつものプールルーティンをすることができた。そして家に帰って椅子に腰掛けようとしたら、足を曲げたときに「あ、そうだ俺、筋肉痛なんだった」と思い出したのだった。それくらい、水中と地上では使う筋肉が違うらしい。
 翻って思いを馳せるのは、2月からの3ヶ月間にも及ぶ休館期間のことだ。休館中、僕は仕方なく、プールほどの頻度になることはまずないが、たまにランニングをしたりするかもしれない。最初はまた筋肉痛になるだろうが、何度かやるうちに脚も慣れてくることだろう。そうやって休館中の糊口をしのぐつもりだが、しかしそれでトレーニングされる部分というのは、5月になって再開されたプールにおいて、なんの役にも立たないのだ。泳ぐ力は、泳ぐことでしか付かない。
 そう考えると長い休館は本当に悩ましい。間もなくやってくる休館期間のことに、予行で落ち込ませるような、そんな年始の出来事だった。