先週にやってもらえていたらいろいろな意味で心は安らかであったろうと思うが、先週は先週で、僕自身が「振り返ってみればあれはインフルエンザ」的な体調不良の真っ只中であったため、やはりそれはそれで問題があった。
斯様に、冬というのは過酷な季節である。夏は夏でしんどいけれど、それは過剰によるつらさであるため、どこか単純だ。それに対して冬のそれは過小、すなわち不足によるつらさであるため、精神的な方面、つまり寂しさや侘しさに直結する。塩化ビニルは熱で収縮するけれど、心は寒さで収縮するのだ。
なにが言いたいのかと言うと、寒い季節の、プールに行く意欲のことである。
行ったら行ったで、屋内プールは意外と暖かいということは分っているのだ。むしろ家に帰って家の風呂に入るより、案外ぬくいプールで身体を動かしたあと、熱いシャワーを浴びて身体を洗い、髪もその場でよく乾かして帰ったら、その日の風呂はそれで済むので、そのほうが寒い思いをせずに済むということも分っている。
理屈として分ってはいるのだが、あまりにも寒い1日を過したあと、パンツ一丁という恰好で活動する自分があまりにもイメージできず、あり得ないと思ってしまい、とにかく家に帰って晩ごはんを食べよう、となってしまう。プールに気が向かない時期というのはどの季節のときにもあるけれど、冬はやっぱりそれが著しいと思う。今年っぽい表現をするならば、プールキャンセル界隈ということである。
僕の場合、プールをキャンセルした場合、家できちんと風呂に入るのだから、衛生的にはなんの問題もないが、精神衛生的にはそこまでよろしくない。泳ぐことで救われる精神の部分があるからだ。
疑インフルに見舞われた先週は、もちろんプールからは足が遠のいていた(平日なのに10時間くらい寝たりした)のだけど、昨日1週間以上ぶりに行ったところ、間が空いた新鮮さもあったろうが、やっぱり泳ぐのっていいな、としみじみと思ったのだった。冬は自分がパンツ一丁になることに現実味がなく理解が追いつかないと思っていたが、だからいいんじゃないか、と喝破した。考えてみたら夏は、家では常に水着みたいな姿だった。それが普段は厚着をせざるを得ない冬だからこそ、そこでだけは半裸のような恰好で活動することができるプールの価値が高まるのではないか、と。
プールには運動と同時に、非日常感を味わいに行っているところがあるので、それはむしろ冬にこそ際立つのではないかと、そんなふうに自分に言い聞かせて、結局のところ「とは言え寒いから気が進まないよ!」とプールのキャンセルを試みがちな自分界隈を鼓舞している。