7月上旬以来の投稿である。そうもなるだろう。
誕生日である9月20日あたりで、今年も季節はようやく夏から秋へと移ろった。前回の記事から今日までの60日あまりの日々、すなわち真夏の期間は、もはや最低限の生命活動を無心にこなすのみであり、プールどうこうという状態ではなかった。
もっともプールという施設的には、ここはもちろん1年でいちばんの書入れ時であり、会員である者には関係ないが、1回の利用料金が7月と8月だけは高く設定されている。それでも客はいくらでも来る。券売機のシステムがクソで、誰もスムーズに入場券を購入できないという事情もあるが、夏は朝から夕方まで、ずっと建物の外まで行列が続くほどである。
ただでさえ生きているだけで精一杯なところへ、混雑がそんな感じなので、ますますプールへの足は遠のく。実際の回数としては、7月はそれでも9回だが、8月に関しては(5泊6日の帰省旅行はあったにせよ)わずか5回だった。しかもそのそれぞれが、たぶんだいぶ短い。暑さに茹だり、ひどく疲弊している日々で、プールに入れば相当なリフレッシュが得られるのではないかと希望を抱き、発奮して赴いて、水の中に体を沈めた瞬間に、「体、重!」とショックを受け、少しだけウォーキングをしてすごすごと退散する、ということを、この夏も何度かした。いじましい限りである。夏の渦中にあっては、その事実から必死に目を逸らすけれど、残酷な事実として、夏の暑さ、そしてそれから逃げるために発生する冷房病に、打ち克つ術など存在しない。ただじっと、災禍が過ぎるのを待つしかないのだ。
9月に入り、朝晩の気温が落ち着いてくると、だんだんプールに行く余力も出てきて、行くときちんとリフレッシュする。プールでリフレッシュするのは、精神的な部分なのであって、肉体的なつらさには作用しない、むしろ逆効果だということを、しかし来年になるとまた忘れているのだろうと思う。夏にプールに行かないなんて嘘っしょ、という凝り固まった固定観念もある。
体力的な余裕に加えて、人口密度の低下も喜ばしい。大混雑と言いつつ、なにぶん山陰のことなので、世間的に見れば高が知れている度合だろうとは思うのだが、普段が普段なので、人の多さに対する許容が狭いのである。学生の夏休みが終わって、人の数はガクンと下がり、いつもの、プールが日課だったり趣味だったりする人しかいない世界が戻ってきた。どう考えても施設としての採算が取れていない世界。オフシーズンのそれを今後も享受し続けるために、われら常連客は、真夏は地中に潜っているより他ないのだ。
あとこれは、アンタッチャブルな部分だろうとは思いつつ、勇気を持って述べるのだけど、真夏のプールの水は、汚い。なんか濁っている。9月に入って、プールの水が透き通っているようになったのが見て取れて、翻ってしみじみとそのことを痛感した。夏の、汗と皮脂まみれの、大勢の人間が浸かったあとの水の、濁り。それを気にしたら真夏に関係なくプールはおしまいだと頭では理解しつつ、やはりあの時期の、ゴーグルから覗く水中の視界の悪さは如何ともし難く、頭で考えるよりも先に、どうしても実感してしまうのだった。
斯様に、今年も苦難の多い真夏のプールであった。しかしそれももう終わり、これから本格的に寒くなるまでの数ヶ月こそ、プール趣味界隈のハイシーズンであろうと思う。60日間の鬱憤を晴らすために、たくさん行こうと思っている。