もっともこれは水泳に限らない。人づきあいが全般的に苦手なので、家族や親類以外と友好な関係を築くビジョンがまるでない。はっきり言って、他人のことが基本的に嫌いなのだ。他人の話に波長を合わせるのが苦手。すぐに拒否感が出てしまう。そんな人間が、誰かと愉しくなにかを語り合うことができるはずがない。
でも、だからこそ水泳なんじゃないか、とも思う。水泳は基本的に孤独なスポーツだ。個人競技は他にもいろいろあるけれど、水泳ほど、周囲の人間とコミュニケーションを取る必要がない、そして取るのが困難なスポーツはあまりないと思う。なにしろ水中である。しゃべれないのだ。さらには、表情を読み取るのさえ難しい。そういう意味では、人づきあいが苦手な人間にうってつけの趣味だと言える。
しかしその一方で、冒頭のような叶わぬ願望を抱いてしまう。でも趣味ってそういうものだろう。同好の士と、あるある話などで共感し合いたいではないか。
そんなジレンマをずっと抱えていたわけだが、先日リン・シェール著「なぜ人間は泳ぐのか?」(太田出版)という、水泳にまつわるエッセー本を読んだことで、そうか、仲間がいなくたって、水泳のエッセーがあればそれでいいんだ、ということを喝破したのだった。
しかしながら水泳のエッセー本なんて、この世にほとんどない。水泳をする人間は、どうも文章というものを書かないらしい。水中で息を止めすぎて、酸素が脳に届いていないのかもしれない。ならばいっそ自分で書いてしまおうと思った。そんな経緯でできたのがこのブログである。100年間で7人くらいの孤独なスイマーが、このブログを読んで、少しでも喜んでくれたらいいなと思う。ちなみに「pooling」には、「共有する」という意味があるそうだ。われわれはひとりぼっちだ。ひとりぼっちだという思いを分かち合おう。