プールに行く気力のなかなか湧かない日々である。
そう言えば去年も冬場に、プールキャンセル界隈というキーワードでそんな話をしたな、と思って過去の投稿を探ったら、それは12月8日付の記事だった。まるで桜の開花のように、なんだかんだで毎年ちょうど同じようなタイミングで、同じようなことになるようだ。
プールをキャンセルしたくなる原因に関し、去年はとにかく寒さについて言及していて、それはもちろん今年もそうなのだが、今年はそれに加えて、暗さにもだいぶやられているように思う。目下、1年で最も日の短い時候である。たとえ定刻で退勤できたとしても、その時点で既に薄暗いし、プールにたどり着くまでにはすっかり陽は落ちてしまう。そのことにすごくテンションが下がる。窓から光が降り注ぐ中で泳ぐのは、本当に気持ちがいいものだ。もっとも退勤後に寄るプールで、泳いでいてもまだガラスの向こうに陽射しが残っているのなんて、6月をピークにした、本当に限られた期間だけで、それ以外の大抵の時期は、プールにありついたときには既に夜の帳は下りている。社会人はなかなか、自然光の中では泳げない。それでもこの時期、特に暗さに参ってしまうのは、つまり職場からプールへの移動の時点で既に暗いことが要因なのだと思う。昔から夜遊びに繰り出すような生活はしていなかったので、日が落ちてからの移動で愉しい場所に行くという発想が備わっておらず、むしろ夜である以上はとにかく帰宅したいという信号が発せられるようである。加えてさらにかわいらしいことを述べるならば、暗い≒眠いという信号もあるようで、そういう意味でもプールへの足は遠のくのだった。
なにより年末ということで、労働時間も長時間気味で、なにかと気忙しい日々である。ただホームプールのカレンダーを見ると、仕事納め予定の日から、プールの今年最後の営業まで、数日ある。ここで心置きなく、光を浴びながらの遊泳を堪能しようと目論んでいる。なんと慎ましやかで、健全な目論見であろうか。世界が僕のような人だけだったら、世界はすぐに平和になり、そして少子化問題も一気に解決するだろうに。
なので今は、残りわずかの2025年をなんとかこなそうという思いで、ほとんどプールにも行かず、粛々と生活している。心の支えは、年末に堪能するつもりのプールと、そして年末年始の休みで作るために、ブラックフライデーセールでまとめ買いした水着用の生地を眺めることである。購入して、届いた、まだ水着にしていない生地が、手元にたくさんある、という状況の、心躍らせっぷりたるやすごい。眺めるだけで、ものすごく癒される。水木しげるのエピソードで、売れっ子になって本当に忙しかったとき、作業机から顔を上げて庭木に一瞬だけ目をやることが唯一の息抜きだった、というのがあったが、そこまでではないにせよ、心の落ち込みがちな冬至付近に、新しい生地がたくさんあるという救いを自分のために調達しておいたのは、本当に偉かったと思う。僕は僕に優しいし、そして僕もまた僕のその優しさを褒めることのできる優しさを持っている。
僕だけがひたすらにかわいく、優しい。尊い。推したい。