2024/12/29

2024年の水泳記録と来年のこと

 ホームプールの今年の営業が終了したので、同時に僕の今年の水泳も納まった。そのため去年からの慣習としている、今年の水泳回数を集計した。
 その結果が以下である。()内は2023年の記録。

   1月 5回(8)
   2月 2回(0)
   3月 2回(9)
   4月 11回(10)
   5月 5回(9)
   6月 9回(11)
   7月 5回(8)
   8月 7回(9)
   9月 11回(9)
   10月 8回(8)
   11月 5回(6)
   12月 6回(7)
   合計 76回(94)

 ホームプールは、毎年2月はメンテナンス休館として丸々1ヶ月お休みする。それが今年の場合、1月の中旬から3月いっぱいまでの2ヶ月半に拡張されたため、そこでのマイナス分が如実に響いたと言える。泳欲が高まり、普段は行くことのない少し遠方にあるプールに行ったりもしたが、焼け石に水であった。
 そんな事情だったので仕方がないとも言えるが、それでもやはり1年前の自分の数字に負けるのは悔しい。去年の94という数字は、365日に対して「4日に1回は泳いだ」ということが言える迫力があるけれど、今年の76は微妙だと思う。ゆるやかなペースだね、と言われたら反論できない。その程度の回数だ。
 来年こそは、と言いたいところなのだけど、なんと先日張り出された紙には、「今年は2月~4月いっぱいまでメンテナンス休館します」と書いてあって、大ショックを受けた。これはもう年間の数字どうこうの問題ではない。3ヶ月間プールから引き離されて、僕はちゃんと日常生活を健全に送れるだろうかという恐怖だ。泳ぐことで救われている精神の部分が、僕にはたしかにある。3ヶ月間、水泳という回復アイテムなしに、日々を乗り切れるのか、いまから不安でしょうがない。
 先ごろ、プールキャンセル界隈について書いた。12月もやはりなかなか泳ぐ気力は湧きづらかったのだけど、この時期のプールに行くことへの抵抗感は、実は寒さよりも日の短さに大きく原因があるのではないかと、あの記事を書いたあとに思った。11月や12月というのは、労働が終わったあとはどうしたってもう日が暮れてしまっている。それで萎える。日が長い時期だと、労働後のプールで、低い位置から放たれる西日が水面を照らし、あれが本当にいいのだ。この光った水を味わうために、僕はこの場所に来ているのかもしれない、とさえ思う。
 2月はもともとのメンテナンス月間だし、上旬などはまだ日もそこまで長くないので構わないけれど、3月と4月って、めちゃくちゃいい時期じゃんよ、と思う。世間的にプールのハイシーズンとされる7月や8月は、人が多いし、意外と日常生活の疲労感から泳ぐ体力が残っていなかったりして、案外行きづらかったりするわけで、この春先というのが、1年の中で本当に泳ぐのが心地いい時期であると思う。回数的にもここは大票田となっていて、今年の敗北は3月でのマイナス分に因るところが大きい。この2ヶ月が今年は丸々ないという。哀しい。基本的に気丈に生きているので、僕は滅多にこんな言葉を使わないけれど、告知を目にしたとき、絶望感というのを久々に抱いた。
 どうしても3ヶ月間やらなければならないのなら、12月~2月だろうと思うが、ファルマンに向かって切々とそんなことを愚痴っていたら、「業者の空きの都合とかもあるんだから」と冷静に諭された。ファルマンは出産まで設備系の会社に勤務していたので、そのあたりは理解が深いのである。まあね、はい、それはそうですけどもね。
 3ヶ月間も閉鎖して、いったいどんな作業を行なうのだろう。再開後、ユーザーにとって目に見えるような見返りがあったらいいが、たぶんないだろう。今年も2ヶ月半休んだわけだが、目に見えての変化はなくて拍子抜けした。まあ大規模な休館をしながらでも、近所にプールが存在、存続してくれることに、感謝をしなければならない。今年ホームプールで泳いだ70回あまりが、来年の3ヶ月間のことを不安にさせるほどに、僕の日々の精神に多大な安寧をもたらしてくれたのだから。今年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2024/12/08

プールキャンセル界隈

 降雪を意識させるレベルの本格的な寒さがやってきたこの週末に、綱渡りのようなタイミングでタイヤの交換が成ったのだった。10月あたりにやった義父との打ち合わせで、第一希望は先週だったのだけど、そこは業者の予約が既にもう一杯とのことで、1週ずれ込んでの今週となっていた。そうしたら本当にギリギリだった。実家にやってきたいつもの業者さんは、雪の混じる寒風の吹きすさぶ中で、義父、義母、義妹、ファルマン、僕という5台の車の交換をしてくれた。料金を払っているとはいえ、なかなか恐縮する状況であった。
 先週にやってもらえていたらいろいろな意味で心は安らかであったろうと思うが、先週は先週で、僕自身が「振り返ってみればあれはインフルエンザ」的な体調不良の真っ只中であったため、やはりそれはそれで問題があった。
 斯様に、冬というのは過酷な季節である。夏は夏でしんどいけれど、それは過剰によるつらさであるため、どこか単純だ。それに対して冬のそれは過小、すなわち不足によるつらさであるため、精神的な方面、つまり寂しさや侘しさに直結する。塩化ビニルは熱で収縮するけれど、心は寒さで収縮するのだ。
 なにが言いたいのかと言うと、寒い季節の、プールに行く意欲のことである。
 行ったら行ったで、屋内プールは意外と暖かいということは分っているのだ。むしろ家に帰って家の風呂に入るより、案外ぬくいプールで身体を動かしたあと、熱いシャワーを浴びて身体を洗い、髪もその場でよく乾かして帰ったら、その日の風呂はそれで済むので、そのほうが寒い思いをせずに済むということも分っている。
 理屈として分ってはいるのだが、あまりにも寒い1日を過したあと、パンツ一丁という恰好で活動する自分があまりにもイメージできず、あり得ないと思ってしまい、とにかく家に帰って晩ごはんを食べよう、となってしまう。プールに気が向かない時期というのはどの季節のときにもあるけれど、冬はやっぱりそれが著しいと思う。今年っぽい表現をするならば、プールキャンセル界隈ということである。
 僕の場合、プールをキャンセルした場合、家できちんと風呂に入るのだから、衛生的にはなんの問題もないが、精神衛生的にはそこまでよろしくない。泳ぐことで救われる精神の部分があるからだ。
 疑インフルに見舞われた先週は、もちろんプールからは足が遠のいていた(平日なのに10時間くらい寝たりした)のだけど、昨日1週間以上ぶりに行ったところ、間が空いた新鮮さもあったろうが、やっぱり泳ぐのっていいな、としみじみと思ったのだった。冬は自分がパンツ一丁になることに現実味がなく理解が追いつかないと思っていたが、だからいいんじゃないか、と喝破した。考えてみたら夏は、家では常に水着みたいな姿だった。それが普段は厚着をせざるを得ない冬だからこそ、そこでだけは半裸のような恰好で活動することができるプールの価値が高まるのではないか、と。
 プールには運動と同時に、非日常感を味わいに行っているところがあるので、それはむしろ冬にこそ際立つのではないかと、そんなふうに自分に言い聞かせて、結局のところ「とは言え寒いから気が進まないよ!」とプールのキャンセルを試みがちな自分界隈を鼓舞している。